りんこうや

少々年季の入った自転車乗りの独り言

俺の自転車スタイル:姉と弟

バブルの後遺症は、これだけではなかった。

姉の会社が、もっと大手の企業に買収された。姉はモデルの仕事は完全に失い、普通のOLになった。だが、姉の部署の閉鎖も決まり、姉は会社を去らざるを得なくなった。のちに、その大手の会社は外資に買収された。

俺の倉庫会社は、もっと悲惨だった。倒産した。もともと中小企業だった倉庫会社は、バブル崩壊後の混乱を乗り切る体力がなかった。

俺は、姉と2人で慰めあった。

姉は賢かった。モデルをしながら、実は、カメラマンから技術を習っていたのだ。おりしも、インターネットが広まりつつある時代だった。姉は、写真をつかったウェブデザインという分野に打って出た。まだ黎明期の業界、早い者勝ちだ。姉は、そういう時流を見る目に優れていた。

いつも、俺は取り残される。こどもだと思っていた次郎が、盛んに、家業に入ってくれと声をかけてくれた。次郎なりに俺のことを心配してくれていた。

俺はそれを断り、バイトで糊口をしのいだ。ただ、自転車には乗り続けた。次郎もそれには時々付き合ってくれた。が、義男も浩二も、自転車を続ける環境にはなかった。

ねぐらは、相変わらず姉の部屋に居候だ。近所には、夫婦だと思われていたようだ。姉は保守的な面もあるのだが、弟である俺や次郎に対しては、かなりあけすけになる。平気で腕を組んできたりする。それで、夫婦だと思われたのだろう。

次郎は、駆け出しの経営者。母親が会長としてにらみを利かせてはいるが、いろいろ難しいことに出くわすと、すぐに俺らの部屋=姉の部屋に、地元の酒をもってやってきた。俺らは、経営のことはわからない。アドバイスもできない。一杯やりながら次郎のいうことをただ聞いているだけだ。若い経営者、泣き言を言ったり愚痴をこぼす相手は、俺らしかいない。家を継いでくれた俺らの役目は、次郎をこうやって支えるだけだった。