俺の自転車スタイル:バブル崩壊
楽しかった。親戚や、気の置けない仲間たちと、好きな自転車に乗りまくる、こんな楽しいことがあっていいものか!と思っていた。
だが、それは長続きするものではないのかもしれない。
バブルが崩壊した。
理香子の会社がまず打撃を受けた。モデル料代わりの手当がなくなり、俺のモデル料も減っていき、やがて、モデルの依頼自体が少なくなっていった。人員削減で、社内の撮影班を整理して、業務は外注しだしたらしい。
もちろん、スポンサー契約も打ち切りになった。
看護婦の彼女は、実家の家業を手伝うことになり、病院を辞めた。彼女の地元は、かなりの遠方だ。結局、俺らは別れた。あとになって、婿を取って家業を続けていると聞いた。
俺の倉庫会社も、業績が傾きだした。物流部門の売り上げが相当打撃をうけたらしい。
義男の会社はそれほど影響を受けなかったとのことだが、ボーナスはずいぶん減ったらしい。次郎は、大学院進学を決めていたのでそれほど深刻ではなかったのが救いだ。
そんな時、父親が死んだ。健康そうに思えたのだが、原因不明の心筋梗塞だった。俺と次郎にとっての実父、理香子にとっては継父だ。一応、家業はある。母親がとりあえず社長についたが、最終的に誰が跡を継ぐのか、という話になった。
俺は長男だが、もともと両親と折り合いが悪く、自分から降りた。母親は、理香子に継いでほしそうだったが、理香子にとっては継父のことであり、継ぐ義理はないと言った。残るは、大学院生の次郎だけだった。次郎は、親とうまくやっていた。もともと、家業と次郎の専攻は近い分野で、ゆくゆくは次郎は家業を継いでもいいと言ってはいた。だが、家を継ぐのは長男の俺だと思っていたらしい。そりゃそうだろう。
姉弟で話し合った。理香子と俺は、次郎が家と家業を継いでくれるのであれば、実家の一切の財産相続を放棄することにした。法律のややこしい話はあるのだろうが、次郎に全部任せるということだ。幸いにして、家業に借金はなかった。
バブル崩壊は、俺ら家族だけでなく、チームにも影響を及ぼした。
スポンサーの撤退だけでなく、自転車イベントの減少だ。
やがて、海外事業が好調を維持していた(らしい)浩二の会社から、彼は海外転勤を言い渡された。義男も、北海道に転勤になった。
チームは解散を決めた。
バブル崩壊は、俺ら市井の市民のささやかな楽しみすら奪った。