りんこうや

少々年季の入った自転車乗りの独り言

俺の自転車スタイル:二つの結婚式

二つの結婚式には、義男と浩二、そして、義男の妹の祥子も呼んだ。これが俺の条件だった。俺の大切な仲間だ。

俺はてんやわんやだった。姉の理香子の結婚式では姉の父親役、翌週弟の次郎の結婚式では弟の父親役だ。

身内だけの結婚式だったので、そんなに規模は大きくないが、俺が一番心配だったのは、相手の家族に俺ら姉弟が異様に映りこむのではないのか、ということだった。

俊也の両親にも、礼子の両親にも、俺は正直に話をした。母親は共通だが、父親が違うこと、たぶんそのせいで、俺ら姉弟は親よりも絆が強くなり、恐らく、姉は弟コンで弟は姉コンであること、長男である俺は単なる自転車バカで一番デキが悪いこと、なので、家は長男ではなくて次男の弟が継いだこと、そんな話をした。

ところが、不思議と、俊也の両親も、礼子の両親も同じことを俺に言った。長男のあなたが姉弟2人の共通の父親役をしていたので姉弟が仲いいのではないのか、と。それだけ仲のいい姉弟に、自分たちの子供も入れてください、と。

俺は親でないはずなのに、どちらの結婚式でも、父親ってこんな気分かと、思わず涙がこぼれてきた。

これで、姉弟が兄弟姉妹になった。

母は病気でどちらの式にも出席できなかったが、さすがに病室でうれし泣きしていたようだったと、後で看護婦さんから聞いた。

一応、母に報告に行った。実は、俺が母に会うのも久しぶりだった。弟が、俺の事業のこと、姉の事業のこと、結婚式の様子、相変わらず姉弟べったり仲がいいこと、全部話をしているようだった。俺の顔を見て、母がこういった。顔の傷ももう目立たないね、そろそろあなたも肩の荷をおろしなさい、と。

はじめて、母のことを母親だと思った。

2人の結婚式から半年ほどたって、母は父のもとへ旅立った。

この結婚式は、もう一つの始まりでもあった。久々に再会した浩二と祥子が付き合いだしたのだ。浩二の任期が明け、帰国が決まり、彼らは婚約した。