りんこうや

少々年季の入った自転車乗りの独り言

俺の自転車スタイル:チーム活動

そろそろ、登場人物に名前を付けないといけない。書いていてこんがらがってくる。

仮名だが、姉:理香子、俺:太郎、弟:次郎、義理従兄:義男 としよう。

そして、俺の友は 浩二 としよう。

 

さて、ロードチームといっても、当時、草レースとはいえそんなに数があったわけではない。今でこそ、ロードレースやクリテリウムエンデューロヒルクライムなど、様々なレースが開催されているが、当時は、数は本当に限られていた。

そんな状況で、俺らは全国あちこちでかけていった。ロードバイク対象のレースだったら、何でも出た。

エースは次郎だ。多くの場合、俺と義男が曳いた。次郎を勝たせるために。もともとスプリント力のない俺だったが、筋力がついたことで、平地での巡航が持つようになってきた。体重も極端に絞らずに、上半身と下半身の筋力のバランスを心掛けるようになってくると、スプリント力もだんだん増していった。

ロードレースは、クライマーには不利だと思う。日本のコースは、ヒルクライム以外では短距離の周回が多く、クライマーが本領を発揮する機会が少ない。そういう意味では義男には不利だったのだが、彼は、クライマーからパンチャーへと変容していった。俺は、いわゆるルーラーへと変容した。

そして、俺の友の浩二が加入した。彼は、大学卒業後は全く自転車に乗らず、企業の経理部で仕事をしていた。俺が誘った。浩二は、むしろコーチだった。次郎を徹底的に鍛え上げた。もちろん、自分でも走るようになった。才能があったんだろう、次郎に次ぐオールラウンダーだ。

レースがないときは、サイクルフェスティバルを手伝ったりもした。看護婦の彼女や義男の妹(祥子)も手伝いに来るようになった。