りんこうや

少々年季の入った自転車乗りの独り言

俺の自転車スタイル:スポンサー

俺ら姉弟の写真が、姉の会社の重役の目に留まった。それがきっかけで、姉の会社の関連会社がチームのスポンサーについてくれることになったのだ。

もちろん、わずかながらの資金提供だ。その代わり、会社のロゴをどこかに入れるという契約だった。それでも、貧乏チームには大きなインパクトだ。

俺らはプロではなく、単なる草レースチームだ。そんなチームなのに、わずかとはいえ資金提供してくれるなんて、まさにバブル経済だ。

姉の会社がスポンサーについてくれたことで、もう一ついいことがあった。倉庫会社が、俺を正社員として雇ってくれることになったのだ。もともと、姉が口をきいてくれただけあって、姉の会社と大きい取引をしていた。

荷物係は変わることがなかったが、俺と同じようなアルバイトが数名、下についた。俺は、その区画のチームリーダーになった。

会社には、モデルを続けるということの便宜も図ってもらった。

義理従兄も弟も、我がことのように喜んでくれた。

さて、スポンサーからは、チーム名を決めるように言われた。もちろん、ないわけじゃなかったが、もっといいチーム名を求められた。

それまでは、姉の名前〇〇子からとって、〇〇子's Teamという名称だった。しかし、〇〇が日本的過ぎたし、スポンサーにとっては社員の名前だし、そしてあまり語呂がよくないので、チーム名を改めるように、ということだった。

そこで、英語のチーム名にした。これが、実はスポンサーからのプレゼントでもあったのだ。そのチーム名で、チームジャージをつくって提供してくれた。もちろん、会社名も入れて。

バブル経済の末期、まだ虚構の余裕を誰もが謳歌していた時代だった。