りんこうや

少々年季の入った自転車乗りの独り言

俺の自転車スタイル:軍資金

俺は倉庫会社で、荷物の出し入れ係をずっとしていた。1年たったある日、あまりにも暑いので、制服の上着を脱いで、タイトフィットのタンクトップで仕事をしていた。ちょうどその時、姉の会社の広告の撮影係の人が、倉庫に預けてある服をチェックしに来た。

男性衣料のモデルをやらないかと声をかけられた。どうやら、顔を出すとモデル料が上がるらしいが、予算の制約で、顔を出せるモデルさんを雇えないということで、たまたま倉庫で目に入った俺にモデルをやらすことになったということだ。

倉庫会社にはよくしてもらったが、アルバイト扱いなので、給料は安かった。モデル料という臨時収入はありがたい。

実は、俺には彼女もできていた。入院していた病院には定期的に通院していて、そこの看護婦(当時は、看護師という言い方は一般的ではなかった)と付き合うようになっていた。彼女の方が収入は上だが、デート代は男の俺が出さなきゃいけない。彼女は俺の立場を理解してくれていたが、それでも、このモデル料はありがたかった。

もちろん、デート代だけに使うわけではない。自転車は金がかかる。整備は極力自分たちでしていたが、どうしても手に負えない整備はショップに出さざるを得ないし、消耗品や壊れたパーツ代、遠征費用なども必要だった。弟は親から仕送りを受けていたし、義理従兄は社会人で給料もそこそこもらっていたが、俺は姉が資金援助してくれていた。だが、姉に頼るわけにはいかなかった。

月数回の撮影があった。撮影された写真は、広告だけに使われるわけではなかった。商品開発のための資料にも使われた。1回の撮影で、数万円になった。

撮影は、たいてい夜行われた。姉が、平均の倍くらいの給料といっていた理由が分かった。姉は社員なので、残業手当や撮影手当が出ていたらしい。

ある日、俺が姉の弟だということが知れ渡った。隠していたわけではないが、男性商品の撮影と女性商品の撮影はまったく被ることがなかったので、あえて言わなかっただけだ。撮影係の人が、2人って似ているよね、という話をしだして、それでバレた。

その後、姉と「共演」することもあった。さらに、弟を呼んで、姉弟ファッションみたいな企画の撮影もあった。実はこれが、ノッポーズにとって大きな出来事だった。