りんこうや

少々年季の入った自転車乗りの独り言

俺の自転車スタイル:別れ

俺が病院に担ぎ込まれて手当を受けているころ、彼女も病院にすっ飛んできた。俺は、顔面の右側に傷を負ったが、左ほほを彼女にびんたされた。そして、さようなら、といって彼女はすぐに病院を去っていった。

数日後、友が寝起きする大学寮に、彼女の部屋に置いてあった俺の私物が送られてきた。

さて、彼女が俺の左ほほをびんたしたのを見ていた医師や看護婦さんたちは、かなり慌てたようだった。そりゃそうだろう。なにせ、反対側とはいえ、縫合したばかりなのだから。

医師と看護婦は、かぶせたばかりのガーゼを外し、縫合した傷口の確認をした。よかったわねー、傷は開いたりしてないよ、彼女、手加減してびんたしたんじゃないの、と、看護婦は慰めてくれた。

警察がやってきた。制服の強面の警官1名、若手の警官1名の都合2名だった。警察の手を煩わせなかったということで、勝手に死にそうになっただけの事件ということになった。厳重注意ということだが、当然ながら、大学には通知するとのことを言われた。友の大学とは別なので、人命救助の感謝状出してくれと言ったら、強面の警官に、バカヤローと叱られた。

翌日、大学から学生生活課とかなんとかの職員がやってきた。サイクリング部の公式の活動かどうか、ということを聞かれた。部は冬季休養期間に入っていたので、個人活動だということで、部に対してはおとがめなし、個人に対しては、口頭で厳重注意となった。

彼女に電話したが、すぐに切られた。

もう成人していたので、警察からも大学からも、親には連絡がいかなかったみたいだ。俺も、親には何も言わなかった。親には言わなかったが、看護婦さんの勧めで、姉には連絡した。俺のアパートから、着替えとか持ってきてくれた。姉が身の回りの世話をしてくれた。それ以来、今に至っても姉には頭が上がらない。姉が弟に連絡したのか、弟も見舞いに来た。帰省前に退院できたので、年末年始は実家に帰ったが、さすがに親は、松葉づえついて顔の右側が絆創膏だらけの俺の姿を見てびっくりしたようだった。